About Mimyo Group 法人概要

みみょうグループは、大正14年4月に、広島市南段原町において、松尾シズが「仏に手を合わせる子をつくりたい」と願って創設した「微妙幼稚園」を母体にスタートしました。
現在では、社会福祉法人微妙福祉会、学校法人微妙学園、学校法人翠光学園の3法人からなり、保育園、放課後児童クラブ、幼稚園、幼保連携型認定こども園、子ども支援センターの計12施設を運営しております。

微妙福祉会

概要

事業所名
社会福祉法人微妙福祉会
設立年月
昭和24年4月
理事長
松尾 竜
事業内容
保育所の運営(7か園)、保育所型認定こども園の運営(1か園)放課後児童クラブの運営、地域子育て支援拠点事業の運営

沿革

みみょうグループの保育所(全7か園)、保育所型認定こども園、放課後児童クラブ、地域子育て支援拠点事業の運営を行っています。

微妙福祉会の沿革
昭和24年4月
地域住民の強い要望に応えて、広島市段原日出町字山崎540番地の1に定員幼児50名にて微妙保育園(66.112m²)を開園する。初代園長に松尾賢俊が就任する。
昭和25年4月
微妙保育園、指令児第5号により児童福祉施設として認可を受ける。
昭和28年2月
定員65名(乳児10名、幼児55名)に増員する。
昭和36年3月
現在地(広島市南区東雲本町2丁目10番9号)に移転する。
昭和37年4月
不明の失火により、附属建物1棟を残し園舎を焼失する。
昭和37年12月
定員65名(乳児20名、幼児45名)の再建園舎(160.82m²)が完成する。
昭和47年9月
個人立から社会福祉法人立に組織変更する。初代理事長に松尾賢俊が就任する。
昭和50年4月
待機児童解消のため、第二微妙保育園(968.65m²)を新築し、定員160名 (乳児60名、幼児100名)で開園(第1期工事)する。
昭和52年9月
二代目理事長・第二微妙保育園園長に松尾龍一が就任する。
昭和54年4月
待機児童解消のため、第二微妙保育園(1673.45m²)を増築し、定員を160名から260名(乳児80名、幼児180名)に増員(第2期工事)する。
昭和55年8月
第二微妙保育園開園に伴い、微妙保育園の定員を65名(幼児45名、乳児20名)から45名(乳児)に減員する。
平成元年4月
国・広島市補助金を受けて、微妙保育園を改築(410.73m²)し、定員45名(乳児専門)とする。
平成元年4月
保育園の園名を「微妙」から「みみょう」に名称変更する。
平成2年4月
みみょう保育園で週1回園庭開放を開始する。各園でも順次実施する。
平成9年4月
待機児童解消のため、第二みみょう保育園の定員を260名から280名(乳児90名、幼児190名)に増員する。
平成11年5月
みみょう保育園で一時保育事業を開始する。
平成13年4月
国・広島市の補助金により、段原みみょう保育園をみみょう幼稚園の上層階に合築(934.02m²)し、定員90名(乳児45名、幼児45名)で開園する。
平成14年4月
段原みみょう保育園の定員を90名から110名(乳児50名、幼児60名)に増員する。
平成15年4月
段原みみょう保育園の定員を110名から125名(乳児50名、幼児75名)に増員する。
平成15年7月
国・広島市の補助を受けて、第二みみょう保育園の大規模修繕工事を行う。
平成18年4月
段原みみょう保育園の定員を125名から130名(乳児55名、幼児75名)に増員する。
平成18年5月
耐震診断調査により、第二みみょう保育園が震度6強で崩壊の可能性があることが判明する。
平成19年4月
熊野町より指定管理者として選定され、くまの・みらい保育園(2,643.68m²)の運営を受諾し、定員150名(乳児46名、幼児104名)で開園する。くまの・みらい保育園で病後児保育、子育て支援センター事業、一時保育事業を開始する。
平成19年9月
段原みみょう保育園で休日保育「みみょうプラザ」を開始する。
平成21年4月
くまの・みらい保育園の定員を150名から180名(乳児75名、幼児105名)に増員する。
平成21年12月
国・広島市補助金を受けて、第二みみょう保育園の増改築工事に着工する。
平成22年12月
国・広島市補助金を受けて、第二みみょう保育園を改築(3,204.18m²)し、定員360名(乳児138名、幼児222名)とする。
平成23年4月
みみょう保育園の一時保育事業を第二みみょう保育園に移管する。
平成23年12月
くまの・みらい保育園指定管理を平成24年4月1日から平成29年3月31日の期間で再指定を受ける。
平成25年4月
国・広島市補助金を受けて、第二みみょう保育園分園として日出みみょう保育園(680.13m²)を定員36名(乳児専門)で開園する。
平成27年4月
坂町立坂保育所と小屋浦保育所を坂町から民間移管を受け、坂みみょう保育園(1,068.43m²)定員186名(乳児54名、幼児132名)、小屋浦みみょう保育園(872.90m²)定員40名(乳児15名、幼児25名)として開園する。
平成28年4月
国・広島市補助金を受けて、日出みみょう保育園の幼児定員30名を増員し、定員66名(乳児36名、幼児30名)で本園化する。
令和2年10月
小屋浦みみょう保育園 新園舎(1,050.75m²)竣工。
令和3年12月
くまの・みらい保育園指定管理を令和4年4月1日から令和9年3月31日の期間で再指定を受ける。
令和4年4月
広島市から認定を受け、第二みみょう保育園を保育園型認定こども園に移行。園名を「第二みみょうこども園」に変更し、定員を370名(1号こども10名、2号こども222名、3号こども138名)とする。
令和5年4月
三代目理事長に松尾竜が就任する。

微妙学園

概要

事業所名
学校法人微妙学園
設立年月
大正14年4月
理事長
松尾 竜
事業内容
幼稚型認定こども園の運営(1か園)

沿革

大正14年に広島市南区段原に開園した微妙幼稚園(現 幼稚園型認定こども園「認定こども園みみょう幼稚園」)を運営しております。

微妙学園の沿革
大正14年4月
広島市南段原710番地の1に微妙幼稚園を開園する。
昭和3年9月
微妙幼稚園、指令第4164号により幼稚園として認可を受ける。
昭和21年3月
二代目園長に松尾賢俊が就任する。
昭和28年7月
個人立から学校法人立(学校法人微妙学園)に組織変更する。
昭和61年12月
学校法人微妙学園二代目理事長に松尾龍一が就任する。
昭和37年12月
定員65名(乳児20名、幼児45名)の再建園舎(160.82m²)が完成する。
昭和63年7月
幼稚園の園名を「微妙」から「みみょう」に変更する。
平成元年9月
段原再開発事業により園舎を仮移転する。
平成4年7月
現在地(広島市南区段原南1丁目5番3号)に園舎(938.43m²)を改築し、定員を200名とする。
令和6年4月
幼稚園型認定こども園に移行し、園名を「認定こども園みみょう幼稚園」に変更する。
令和5年4月
三代目理事長に松尾竜が就任する。

翠光学園

概要

事業所名
学校法人翠光学園
設立年月
昭和50年4月
理事長
松尾 竜
事業内容
幼保連携型認定こども園の運営(1か園)

沿革

昭和50年に広島市安佐北区口田に開園した翠光学園幼児部(現 幼保連携型認定こども園「すいこう認定こども園」)を運営しております。

翠光学園の沿革
昭和50年4月
松尾とし枝(みみょう幼稚園三代目園長)が、広島市安佐北区口田5丁目17番19号に翠光学園幼児部(翌年4月に学校法人翠光学園に組織変更する)を開園する。
平成21年10月
学校法人翠光学園の理事長に松尾龍一が就任する。
平成22年9月
翠光幼稚園を増改築して、認定こども園翠光保育園(422.29m²)を定員80名(乳児36名、幼児44名)で開園する。
平成27年4月
幼保連携型認定こども園翠光幼稚園・保育園を「すいこう認定こども園」とし、定員170名(1号こども60名、2号こども60名、3号こども50名)とする。
令和4年2月
国・広島市補助金を受けて、すいこう認定こども園を改築(1,280.73m²)し、定員180名(1号こども41名、2号こども85名、3号こども54名)とする。
令和5年4月
理事長に松尾竜が就任する。

Etymology of Mimyo みみょうという名の由来

みみょう幼稚園の創設

みみょう幼稚園は、大正13(1924)年9月に準備を開始し、翌年の大正14(1925)年4月に開園しました。創設者である松尾シズは、「仏様に素直に手を合わせる子を育てたい」という思いから、日曜学校の連日開催を経て、幼稚園を設立しました。「微妙(みみょう)」という園名は、京都の谷口博士によって名付けられたと伝えられています。しかし、その詳しい由来については長らく明らかにされていませんでした。全国にただ一つのこの園名の背景について、近年、記念誌の発刊や記念講演会を通じて、その意味が二つの視点から語られました。

経典に見る「微妙」の意味と教育理念

記念誌には、三原の私立幼稚園昭和園の前理事長・故小島文章先生が、「佛説阿弥陀経」に記されている極楽浄土の蓮池の花の描写について言及しています。この経典では、

  • 青色青光(しょうしきしょうこう)
  • 黄色黄光(おうしきおうこう)
  • 赤色赤光(しゃくしきしゃつこう)
  • 白色白光(びゃくしきびゃっこう)
  • 微妙香潔(みみょうこうけつ)

と表現され、蓮の花がそれぞれの色で光り輝く様子が描かれています。その意味は、青い花は青く、黄色い花は黄色く、赤い花は赤く、白い花は白く、それぞれが自分の色で輝き、何とも言えない美しさを放っているというものです。このことから、「微妙」という名前には、「一人ひとりの子どもが持つ個性を大切にし、それぞれの光を放ちながら成長することを願う教育理念が込められている」との記載がありました。

また、前・鎮西敬愛学園元校長先生が「佛説阿弥陀経」の一節にある「微風吹動(みふうすいどう)」について言及されました。

この経文には、極楽浄土では常に妙なる風が吹き、宝で飾られた木々が揺れ動き、天蓋(仏像などの上に掲げる装飾)が揺れ、何とも言えない美しい音「微妙音(みみょうおん)」が響くと記されています。その音色は、何百何千もの楽器が一斉に奏でるような壮麗な響きを持ち、それを聞いた者は自然と仏を想い、仏の教えを信じ、仏を敬う心が生まれるとされています。この解釈から、「微妙」という名前には、子どもたちが多様な響きを持つ音に触れ、仏の教えを心に宿すことを願う意味も込められていると考えられます。

未来へつなぐ「微妙」の想い

創設者である松尾シズも、「妙なる音を聞かせてやりたい。何百何千の妙なる微妙音、それは『南無阿弥陀仏』という声ですが、この妙なる音を聞かせることで、仏様のことを心から想い、仏様の教えを信じ、仏様を大切にする仲間を想う子どもを育てたい」と願っていたとのことです。

以上のことから、「みみょう」という名前には、極楽浄土の美しい蓮の花のように、子どもたちがそれぞれの個性を大切にしながら輝くこと、そして微妙音のように、心に響く豊かな経験を重ねて成長することへの願いが込められていると考えています。みみょうグループは、この願いを受け継ぎ、これからも子どもたちがのびのびと育つ環境を築いていきます。